わかば塾の関係者は、新潟の山の集落と付き合ったり、埼玉県南部の緑地帯:見沼田んぼで活動したり、映画会、講演会、祭りを開催したりしています。

沖縄の平和運動と連携した「満月まつりin見沼」の実行委員会にも加わっています。

写真は、2016年12月の第13回のひとコマ。

演奏しているのは、ザ・パイのパイです。

(会場は大宮市染谷の会館SOPLA)

 

2023年は10月28日(土)午後から泊まり込みで前夜祭

10月29日 正午ころから満月祭り

 

 


 

わかばNO.648 23.5.24

 前号で「使えるやつ」「使えないやつ」の話を書きました。

人生長い、人はいくらでも変わっていきます。今「使えないやつ」だってそのうちに「使えるやつ」になっていくかも知れない。また、人間の魅力というのはこれまたよく分からない。「使えないやつ」だけど「憎めないやつ」、むしろ使えないことでかえって「可愛く感じられるやつ」だっている。

「使える子」「使えない子」、そう気にすることではないのですが、生活を共にするとき、一緒に何かをやろうとするとき、「使える子」と一緒だと楽ですねえ。

♪♪♪   ♪♪♪   ♪♪♪

 最近、カラス(学校に行っていない中2)が使える子になってきています。ちょこっとしたときに、「ありがとうね」と思うことが多くなってきました。先日見沼の方にサイクリングがてら遊びに行ったときも、オヤジに言われなくても、状況に応じながら下級生たちの先頭に立ってくれたり、最後尾についてくれたり、遅れがちな子に配慮してくれたりしていました。越谷の街歩き&映画鑑賞のときもそうでした。朝、なかなか来ないので電話したら「やべエ、寝てた」。

「何とか行く」と自分の判断で集合場所より自宅に近い方のバス停で乗って東浦和に向かっていてくれました。街歩きの途中でオヤジとハルはショッピング街に行って買物をしていたのですが、カラスは他の人たちと一緒に会場の方に行ってくれ、会館裏の元荒川で釣りをしていたおじさんに話しかけて情報を得てくれていました。

映画の後に対談があったのですが、オヤジとさくら・あいは早く帰らなくてはならなくて、大急ぎで会館裏の川べりに行き、釣り具や網の片付けを始めました。そしたらカラスがやってきて、「オヤジたち急ぐんでしょ。オレ、遅くなってもいいから片付けてやるよ」って。「じゃあ頼むね」って先に帰ってきました。当然ハルたちも手伝ったと思いますが、まあ、しっかりしているカラス。見直しましたね。

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 映画は面白かったです。思わず声を出して笑ってしまうようなこともあったし、目頭が熱くなる場面や話も多々ありました。仕事やら用事やらで行けなかった人もいましたが、子どもたちだけ、親御さんも一緒、親だけなど、わかばの関係者20名以上が観に行きました。(観客数240人の約1割)みなさん、いろいろに感じてくれたようです。

 ラインや電話などで感想を寄せてくれた方もいました。

・おもしろくて元気になれる映画でした。

・校則なし、定期テストなしの公立中学校の校長先生の話

から学校というのは本来何でもできるんだということが

よくわかりました。「悪しき慣習にとらわれている多くの

学校」に幻滅します。

・「自分から熱中して何かやるときに脳が活発に動く」とい

 う脳科学者の話に納得しました。

・授業内容を子どもたちと大人で決めていくことや、プロジェクトばかりの時間割がうらやましい。

                       等々

「いつもオヤジがやっていることだね」という感想もありましたが、とんでもない。とてもとてもかないません。

「いつもオヤジが言っていることですね。」という感想には、

ニコニコマークで返事しました。その通りだと思います。大

きな違いはないですね。

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通信簿を何十年も作っていない伊那小学校の先生たちと子どもたち。校則を一切なくした他、重要なことを生徒と話し合って進めている桜丘中学校の校長先生や生徒たち。生き生きとしていて素敵でした。どちらも公立の学校ですよ。

 桜丘中の校長先生は「校長権限は大きい、たいていのことはできる」と言っていましたが、トップダウンで改革をしたわけではありません。先生たちと話し合い、生徒たちと話し合い何年もかけて実現したことです。校則を無くし、定期テストをやめて、学力低下を心配する人はなあああああんもわかっていない人です。生き生き伸び伸びとした学校になって、当然学力も向上しました。

 「きのくにこどもの国学園」の小学生は毎日が遊びのような体験学習。その中で、たくさんの知恵をつけていきます。

高校進学後の成績の伸びもすごいことが紹介されていましたが、それはわかば塾も同じです。教えられる学習でなく、自ら学ぶ学習だから当然ですね。この学校の卒業生をみてきた大学の教授も登場します。「質問ができる学生になっている」と語っていました。ある年など卒業生総代になった子までいたそうです。

 その辺のことを脳科学者の茂木健一郎さんが解説してくれています。体験学習が脳を発達させる。楽しい気持ちで好きなことをやっていると脳が活発に動く。

 ・・・はいはい、オヤジが何十年もわかば塾をやってきてたくさんたくさん体験していることです。

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 学校に行かない育ちをしている子でも、地域の小中学校には籍を置いています。学校の先生方がたまに(教科書を届けるとかで)会いに来ることがあります。1時間、2時間と子どもたちと話したり遊んだりしていく先生もいますが、たいていは30分ぐらいかなあ。どの先生も子どもたちが物おじしないことに驚きます。

 それと、オヤジは「教科学習的な勉強なんて何もしなくていい」と言いながら、一方では「できないよりはできた方が、知らないよりは知っていた方が楽しいことが多くなる」とか「退屈しのぎには勉強もいいもんだ」とも思っているので、時々はやっています。学校の先生たちはその進み方のすごさにもびっくりしますね。1週間のうち2時間ぐらいも使えば、学校で1か月ぐらいかかることができるようになります。

 「もう、こんなことができるんですかあ。すごくやっているんですねえ」「いや、そんなやってないですよ。これ今週から始めたんだよなあ。どんくらい時間かけたっけ。合わせて1時間ぐらいか」「うん」。昨年度に来た小学校の先生たちには言ってやりましたよ。「この字見て!でっかくてきったねえ字だろう。算数やるのに『きれいな字で書きましょう』なんて馬鹿なことは言わないし、計算ドリルや漢字ドリルなんて最悪なものは使わないからいいんだよ。あんたたちだって計算ドリルや漢字ドリルを宿題に出すのをやめてみな。勉強嫌いの子が減るぜえ。」先生方、目を白黒させていましたね。(笑)

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 最近のすごいこと:小2と小3の学校に行っていない子がそれぞれ遠くから一人でバスを乗り継いで来ています。初めは親の送り迎えだったんですが、親の都合がつかないときも来たいと言い出して。何回か親と一緒に練習して。方向がだいたい同じなので一緒に帰ることもあります。子どもがしたいことを子どもを信頼してさせてやる親…素敵だね。 以上

 

 

わかばNO.645 23.2.24

 ベンポスタ子ども共和国

 知っている人が多いかと思ったけど、ほとんどの人が知らないんですね。

 今現在どうなっているのか、存続しているのかどうかもよくわかりませんが、1990年前後に子どもたちのサーカス団「ロス・ムチャ―チョス」が日本にやってきて、また、映画「ベンポスタ子ども共和国」が作られ、ベンポスタ子ども共和国の理念が紹介されました。

 私もみのさんもそして当時小学生だった娘かほるもすごく感動しました。かほるは日本から行っている女の子がいることを知って、「ベンポスタ共和国に行きたい。何とか行けるようにしてよ。」としばらくわめいていましたね。当時私らに金と暇があったら行かせていたかも知れません。(行ってしまえばお金はかからない。働いて給料をもらい生活できるから。)

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 ベンポスタ子ども共和国の精神的な支柱になっているシルバ神父と村田栄一さんの対談が載っている映画のシナリオが手元にあります。恒松竜兵さんの文庫本も、以前のものが見当たらないので新たに買いました。

 今読んでみて、この30年間、世界はますますひどなっていると言わざるを得ません。ベンポスタ子ども共和国が問いかけた数々の問題は解決に向かうどころかますます深刻になっています。掲げた理想は今も言い続けなければならないように、世界には理想に向けての進歩が何ら見られない。特に日本の状況はひどいですね。

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 ベンポスタ子ども共和国、そこでは世界各地からやってきた子どもたちが、勉強したり、鉄工所や畑・家畜小屋などで働いたり、たっぷりとある休憩時間に遊んだりスポーツをしたり、そして夕方にはサーカスの練習。

 映画には住民総会の場面も登場します。市長や各大臣、それと国民全員が参加します。市長や各大臣はもう大人になった若者が務めているようです。ちょうど、日本から10歳と11歳の女の子が国民になりたくて来ていた時でした。これで日本人は4人。「オミナです。ベンポスタにはサーカスにあこがれて来ました。それと、子どもだけで生活し、子どもの力が発揮できるのがいいです。それから、大きくなったら日本にもベンポスタを作りたいです。」「ミキです。私は、世界のいろんな国の人たちと知り合い、お友だちになりたいと思って来ました。それから、私もオミナと同じように、日本でベンポスタを作りたいと思います。」

国民全員の大きな拍手で迎え入れられていました。

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シルバ神父はサーカス団と一緒に来日し、当時テレビでも語っていました。めったにテレビを見ないオヤジも、シルバ神父が出るっていうのであわててテレビの前に飛んで行きましたね。シルバ神父の語ったことをいくつか書きだしてみます。

・スペインはもとより、世界各国から集まってきた子ども

たちを新しい人間にするために日々教育をしています。

しかし、ベンポスタは決して学校ではありません。いまま

でとは違った人間をつくりあげるところです。この不正

な世界を変革すること。それがベンポスタの希望であり、

理想です。

・…社会に同化できなくて苦しんでいる子どもたちと出

会ったのです。私はこの子どもたちの国をつくろうと思

いました。平等、正義、兄弟愛に満ちた国、人種、性別、

貧富など一切差別がない国、真の自由と民主主義の国をつくろうと思ったのです。子どもたちも私の考えを信じてくれ、それ以上のことをしようと考えてくれたので…

・(政権との関係)…政府は私の思想とか発言に対しては批判的でしたが、私にはベンポスタの1000人の子どもが後ろ盾になっていたし、政府からの援助なしにこれだけのことをやってきたという現実の重みがあった…

・(子ども共和国では子どもたちが授業にでることを労働とみなして給料を払っているし、先生に払っている給料は乏しい予算の中で大きな割合を占めている。学校ではないと言うけれど…と問われて)世の中の学校は、学校と教育が必ずしも直結していません。そこで知的な勉強がなされるけれども、その後、それがこういう不正な世の中に力を貸すようなものになってしまっています。いまの世の中の学校は、子どもたちを不正な世の中に同化させていく役割を持っているわけです。‥‥ベンポスタの学校では一日に5時間以上勉強することを禁じています。それは他の分野を侵すことになるからです。学校が、子どもの教育を独占するのではなく、生活の中に教育があるのですから、学校の外でも学ぶ機会を十分にあたえなければならないと考えて‥‥

 ・(ベンポスタでは労働が重視されていて、子どもたちは働いて稼いでいることについて)‥‥特に先進国では子どもの労働はそのまま搾取につながっていきます。‥‥ベンポスタでは、他者のための労働ではなく、人間的なものを現実化するという使命を持ったものが労働だと考えています。

 ・(サーカスの意味は?)‥‥対内的には「サーカス」はこどもたちの肉体的な能力を発揮する場所でもありますし、‥‥連帯して一つのことを行なうという意味も持っています。対外的には「希望のメッセージ」を世の中に伝えること。それを具体化させたのが例の「人間ピラミッド」で、あれは私たちの考えを形のあるものとして提示しています。つまり、強い者が下で支え、その上に弱い者が乗って、いちばん上に子どもが立つ。‥‥

    <きりないからこの辺でよしますね。>

 本を読みたい人、お貸しします。

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わかばNO.642 22.11.22

 

 前号の最後は「つるんで楽しい…それはそれでいいけど、一人で、自分で動こうとすると得るものが大きいようです。」でした。

 わざと別な機会に枯木又旅行に参加した仲良したち、「友だちがいない、できない」ことを心配している親に助言してやったツーちゃん、英語が全くできないのにアメリカに一人で行ったリュウタのことなどを書きました。

そのわかばを見たモエのママのイチコさんから「面白かったーー! オヤジは、里に住む仙人みたいそれと、最後の話は、とても共感! 私もモロッコで一人で動いて体験した。二人旅とは雲泥の差があるって、おもしろかった。」と感想が来ました。それで「モエが高校のときに友だちと沖縄に行ったよねえ。で、帰ってきたときに、『誰かと一緒に行くのはダメだね。来年は1人で行く』そう言っていたと思うけど記憶が定かでなくて書けなかった。」と送ったら、「そうそう、そういえば、もう一回行ったのは、1人で行った! で、色んな人に出会った話をしてたよ^ ^懐かしいなぁー、」と返ってきました。そうなんです。誰かと一緒に行ったら、「あの子たち」になってしまって、得られるものも得られない。知り合いもできない。

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 そのモエの結婚式に行ってきました。365日、「まるまる休む日」というのがないわかば塾ですが、112日・3日は休みにしてもらい千葉県のいすみ市まで行きました。小学4年生後半から卒業までびっしり付き合った不登校生モエ、もちろんその後も付き合いは続けているモエ。「結婚式をあげるから来て!」と呼びつけられました。(笑)

 相手は狩猟体験を含むキャンプ場「ハントプラス」を運営している石川雄揮さん。籍は入れてあり赤ちゃんもいます。その二人が地元の人たちのすすめもあって地元の神社で結婚式を挙げることになったと。 「ささやかな式だから」ということで出かける約束をしていました。その後のモエとのやりとりの一部を紹介しますね。

 ←「神社での挙式って、列席者は親族だけなんだろう?外で見学してればいいんだろう?」→「おやじも挙式からだよ!」←「背広なんか持ってないぞ」→「知ってる知ってる。父は礼服で、それに合わせて両親達は礼服着るけど、おやじはなんでもいいよ。前に藍染の羽織?みたいの着てなかったっけ?それあればそれでいいし!」←(藍染のはっぴ着た満月祭りの写真を送った。それにはズボンはいて靴下はいてる姿が写っていた。)→「それがいい!小綺麗なズボンもってるんだ!笑 靴下も履くんだあ! おやじ来るのが1番楽しみ!遠いけど頑張って来てね!」←「靴下はかずにギョサンで行こうかな(笑)ここ3年、真冬でもはだしでギョサンなんだよ。」→「逆に、おやじが靴下履いてる姿は覚えてない」…こんなやり取りをしながら改めてモエと超仲良しなんだと感じました。

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 結婚式はちょっと例のないようなもの、「こんなのありかよ」って感じでした。FBやラインのタイムラインに写真を載せたりしたので見た方もいらっしゃるかな。

式自体は、神社で挙げて社務所で会食という単純なものだったんですが、友人たちが「祝言市」と銘打ったマルシェを開催してくれて、またいすみ鉄道も協力してくれて、神社も巫女踊りを披露してくれて、空手道場をやっている人は子どもたちの実演で祝ってくれて・・・と、たいへんなお祭りになりました。

9時頃に色打掛(?)と羽織袴姿で出てきた二人を撮影しようと次々に人が集まり、白無垢に着替えて10時過ぎにやっと本殿に。11時近くに式を終えて出てきてからも人垣に囲まれて。それからいすみ鉄道の大多喜駅に。3駅乗って国吉駅に。国吉駅には数十人の人が出迎えていて、それから約1㎞の花嫁道中。雅楽を演じる神官や巫女さんたちが先導します。そして国吉神社・出雲大社前の広場のマルシェ会場に戻ると、祝福する人人人・・・。単にマルシェに来た人たちまで巻き込んでの数百人が祝う結婚式になりました。感動しました。

その後の社務所での会食は両方の親族+オヤジの13人と石川夫婦・10か月の愛娘、こまちちゃん。当初聞いていた通りのささやかな会食でした。料理はプロの友人たちがそれぞれに最高のものを提供してくれて、いわゆる「あいさつやスピーチ」はなしで、食べながらみんなが参加しての会話が弾む素敵な会食でした。会食の後には二人が神社から「餅まき」もしたんですよ。

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 前の晩はモエたちの家に泊まって旦那の石川さんと夜中まで飲みました。初めて会った気がしない人で、彼は「動画見たからじゃないか」と言ったけど、彼の人柄のせいだと思います。翌日の結婚式でそのことを更に感じました。また、山の斜面に点在するハントプラス。素晴らしい空間を創り上げていました。動画は<丸山ゴンザレスの動画「命の授業 狩猟はゲームではない」で検索できます。なお、結婚式の動画は「結婚式(辻田君撮影・編集)」で検索できました。おもしろいですよ。

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 大谷口小・中学校避難所運営委員会はさいたま市ではもちろん、埼玉県でも例をみない活動を続けてきています。

平成21年度に活動を始めて、今年はすでに6月に第55回、10月に第56回、そして1119日には第57回目の活動。その間には50名前後の拡大役員会を開催しています。

 わかばの子たちもよく参加しています。福祉農園や枯木又に行ったりするときもそうですが、こういうものに参加する子たちは成長しますね。何をするでもなく、ボーといるだけでもいいんですよ。「こんなのがあるよ」と言われても関心を示さないとか、誘われても行こうともしない子たちとは違います。

 この前の活動ではハル君が活躍してくれました。片付けの段階で、校舎外の、ある自治会の倉庫にリヤカーで品物を運ぶとき、「ハル、手伝う?」「いいよ」とリヤカーを引いて先導してくれました。大人の人が何人かその後について。

倉庫にしまうときに、倉庫の中を整理する必要があったのですが、そこでもおしゃべりしながら働いてくれて、自治会の役員の方とも話したりしていました。そんな中で足の指を怪我して、「ほっときゃいいよ」と言ってたんですが、学校に戻って、そうだ救護班の練習になると「救護班!けが人だぞー」と言ったら、救護班員になっているナナちゃんのママがいて、治療してくれました。けが人になってくれたことも大切な仕事になりました。ハル君、ありがとう。

 

以上

 

わかばNO.641 22.10.24

 

 いやだねえ、また「わかばの奇跡」から始まるよ。

108日~10日と枯木又に行ってきました。天気予報はあまりよくない。8日の午後1時頃に魚沼丘陵駅に着きました。駅にはタカシさんが軽自動車で迎えに来てくれていました。天気が良ければ荷物だけを運んで歩いて上るのですが、小雨が降りだしています。そこで、荷物とあい・ヒロム・カズパパを運んでもらって(ヒロムとあいは荷物運びとなしのき荘の整理)、さくら、からす、カズ君とオヤジは歩きだしました。小雨が降っていたせいもあって3人はどんどん歩いて行きます。オヤジはついていけない。「待って」というのもしゃくだから、両手をあげて「晴れろー」と怒鳴りました。振り向いたけど(後で聞いたら)何をいっているかわからなかったみたい。なんか雨の勢いが弱まったようなので、しばらくしてまた「晴れろー」と怒鳴りました。すると、雨が止み、それどころか雲の隙間から青空さえ見えてきました。3人はそのまま歩いて、約330mの標高差、距離5.6㎞を歩いて上りました。かかった時間はを1時間ぐらい。速かったです。すごいね。

 9日夜から10日も雨の予報。だけど、夜の散歩に行こうかと話していると雨があがり、早めに片づけたら傘さして地蔵様まで行こうかとか言っていたら雨があがるというように、わかばの動きで天候が変わりました。まあ、偶然でしょうけどね。

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 今回の枯木又旅行でも、子どもたちから、そして来ていた大人の人たちからたくさんのことを学びました。

特にカラスの行動が光っていた。カラスの「個」としての存在。「自分が思い、自分がやりたいことを自分でやる」そういう行動がしっかりできていた。いろいろな人が来てくれたけど、カラスはその人たちの印象にしっかり残ったと思います。そういうカラスを見ていて思い出したことをいくつか書いてみますね。

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 以前は夏休み中に2回~4回、枯木又に行っていました。そのときに、普段からつるんでいる子たちが何人か行くと、その子たちは枯木又で出会う人たちに「あいつら」とか「あの子たち」と言われるだけで、名前も覚えてもらえません。行動も「だれだれ、どこそこにいこうぜ」と誘い誘われて固まっていく。食事のときにもくっついて、他の人の話を聞かないで自分たちの話しをしている。何のために枯木又に行ったのかわからない。「あんたたち、駅まで送ってやるから浦和に帰りな。帰ってあんたたちだけで遊んでいろ」と言われる子たちもいました。そして、そういう子たちは、枯木又や枯木又の人たち、一緒に行く人たちと新たなつながりもできないし、枯木又での生活の中からの新たな発見もあまりありませんでした。

 一方では、仲の良い者同士がわざと別の時に行くようにした子たちもいます。アマとケンは小学校時代からの仲良しで部活も同じでした。「アマ、どっち行く」「おれ1回目でなきゃだめだ」「じゃあ、おれ2回目に行くね」。よこちゃんとゆきえちゃんもそうだった。「どっち行く?」「私2回目はいなかにいくからだめなんだあ」「じゃあ私は2回目ね」といつも違う時に行きましたね。カツラとノゾムの双子の兄弟もそうでした。小3で初めて行ったとき以外は高2で一緒に行くまでずっと別々でした。

 枯木又に行きたいと言い出すときに、「だれだれが行くから行く」という子とか、「誰が行くの?」とそこばかり気にする子には「まだ、無理みたいだね、来年にしよう」「自分一人でも行くってのじゃなかったら行かない方がいいよ」とあきらめさせたこともあります。

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 埼玉県が「不登校生の保護者と教師のためのナントカ」という催しを(ここ3年は休んでいますが)開いています。わかば塾は相談コーナーを設けてきました。不登校だった子やその保護者の方たちにも来てもらって同窓会みたいにやっていました。何年か前に「学校に行っていないで友達ができない」という相談があったときに、「つーちゃん、ちょっと来て」と当時20歳を過ぎたばかりのつーちゃんを呼んで相談相手になってもらいました。つーちゃんは不安にかられている親御さんに次のようなことを話してくれました。

「心配することなんてないよ。私なんて18歳で通信制高校卒業するまで友だちどころか両親以外で話したことのあるのはここにいるオヤジぐらいだったよ。でも今は趣味や仕事ですごくいい友達がいっぱいいる。テレビなんか見てて思っていたけど、子どもの頃の友達とかいうのは「友だち」じゃあないんじゃないかな。ただつるんでいるだけなんじゃあないかな。やりたいことをやっていれば、そのうちいい友達ができるよ」…ずっと引きこもっていたという若い女の子が堂々と相談に乗ってくれる。その方たちはびっくりしたようでした。

オヤジなんか子どものうちから「友だち」は多かったし、つるんで遊ぶことも多々あったし、今でもそれぞれの年代での「友だち」もいるし、つーちゃんの言うことに全面的に賛同するわけではありません。ですが,確かに「つるんでいるだけだった」相手とはそれっきりになっていますね。むしろ、当時は多少距離があったのにその後にという人と今でも付き合っています。

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40歳代のリュウタ(勉強は超苦手で英語なんか何も知らない)が20歳の頃にアメリカに行ってみたいと言い出しました。「英会話の練習しておいた方がいいかなあ」と聞くから「今勉強したって覚えられないし、すぐ忘れるだけ、行ってしまえばなんとかなる」「そだね」とバイトを23つかけ持ってお金を貯めて一人で出かけて行きました。帰ってきてから面白い話をいっぱいしてくれたんですが、そのうちの1つ。

カナダの近くの食堂で食事をしていたとき、日本人の若者が数人入って来て、日本語でぺちゃくちゃしゃべっている。近くで食べていたリュウタにアメリカ人のおじさんが(もちろん英語で)話しかけてきて、あまりよくわからなかったけど適当に答えていた。その中で、「日本から来た」と言ったのを聞きつけたのか、かえりがけその若者たちが「日本からですか?」と聞くから「そうだよ」って答えたら、「英語が話せてすごいですね。どこの大学ですか」と聞かれたそうです。その話をしながらリュウタが「あんなして仲間で固まってたら何にもならないよね。それと、大学行かなきゃ英語が話せないって思っているのかなあ」と言ってました。

つるんで楽しい…それはそれでいいけど、一人で自分で動こうとすると得るものが大きいようです。

 

以上

 

 

 

 

わかば NO.635 22.4.24

 

 「通知表やめた公立小の挑戦」

先日、東京新聞の夕刊トップに、茅ケ崎市立香川小のことが紹介されていました。  ・・・通知表をなくしたことで、子どもに優劣をつけるこれまでの「当たり前」の発想から教員は自由になってきた・・・(テストの点数をつけることをやめた教師は)・・・「テストの目的は、理解していないことを把握し、次の学習につなげること。それぞれの問題の配点に何も意味もない」と力を込める。・・・

本文中にも大切なことがいろいろと書かれていますが、記事の下に通知表とは何かが説明されていて、そこを読んで「オヤジも知らなかったあ、オヤジも慣例的になっていたんだあ」とちょっと恥ずかしくなりました。

 <通知表・・・学校に作成義務はない。決められた形式もない。なのに、慣例的に全国のほとんどの小中高校などで配布されている。・・・>

 この小学校では、通知表やテストの点数付けをやめたことで、先生方が以前よりも子どもたちの姿が見えるようになったようです。、この記事を読んでいて、北海道の北星余市高校で服装を自由化したときのことが書かれた本を思い出しました。

その前後のことをある教師が書いていました。「今までは生徒の服装にばかり目が行っていた。服装や髪形、持ち物などを注意することばかりしていて、子どもの姿が見えていなかった。最初の頃は戸惑ったけれど、慣れてくるうちに今まで気づかなかった子どもたちの姿に気づくようになってきた。「こいつ、こんなに優しいところがあるのか」とか「そっかあ、まだ悩んでいるんだな」とか「こういう服を着るとこの子こんなにかわいくなるんだあ」とか・・ 

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 わかばの子たちの中で飯能にある自由の森学園に通った子がけっこういます。この学園は、創立以来服装は自由ですし、テストも教師が作る通知表もありません。その代わりに、子どもたち自身が行う自己評価というのがあります。

中学校から通い始めたある生徒は小学校時代に逆立ちができなかった。それを中1前期の期間でできるように挑戦した。その自己評価表を見せてもらったことがありますが、何枚も何枚も、ときには先生が撮ってくれた写真を張り付けたりして分厚いものができていました。

高校になって通った生徒が大学受験のときに小論文の練習に何回か来たことがあります。「あれー。すごいなあ、いいのがかけるじゃないか。中学生んときは文章書くの苦手だったのにねえ」「そりゃそうさ、自己評価表で苦労したかんね」だそうです。

でも、それだけじゃあないですね。自己表現を大切にする校風であること、校則に合わせなければならないプレッシャーがないこと、教師(大人)とため語で話せることなどで、どの子も表現力がものすごく伸びました。

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校則を無くしたり制服をやめたりする公立の中学校もぽつぽつ出てきているようですが、しばらく前に、「中学校に行ったら髪きらなくちゃあならないって聞いた。そんなら僕中学校行かない」と子どもが言い出したので、その中学校の校則を手に入れたというお母さんからその学校の「生活の約束」というURLが送られてきました。早速開いて打ち出しました。A44枚にびっしりです。

 おもしろいですね。中学生になってもまだこんなことを指示しなければならないと考えているのか。こんな細かいことまで規制しているのか。笑えました。

にじみ出てくるのは「子どもたちへの信頼感がない」「こどもたちへの期待感がない」学校の姿勢です。まあ、この通りではないだろうし、そもそもこの「約束」を全部知って守らせようとしている先生もそう多くはないでしょうけどね。

世の中はどんどん変わっている。国際化も進んでいる。仕事も多種多様に増えていて、仕事の仕方も変わってきた。生活スタイルも日々変化している。そうした中で(最初に書いた通知表のこともそうだけど)最も変わっていないのは公立の学校みたいです。そのうち「文化遺産」として登録していいかもです。

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 最初に東京新聞の記事のことを書きました。日本の多くのマスコミは権力への忖度(そんたく)が働いていて、社会の諸問題を鋭く突くという姿勢を失っていますが、東京新聞は違います。以前、外国特派員協会の記者さんたちが日本のマスコミを評価したとき、最も信頼できる新聞と高く評価されたことがあります。

 最近は新聞をとっていない家が多いようですね。テレビのニュースやワイドショウなどで情報を得ている人も多いでしょうが、NHKは政権宣伝機関になってしまっているし、他のテレビ局も広告主への気兼ねと視聴率競争から重要な問題を無視しているかごにょごにょとごまかすかです。

 私はスマホでスマートニュースが見られるようにしていますが、トップの次に「政治」その次に「東京新聞」が来るように並べ替えてあります。スマホで見られるので新聞は開かないことが多いのに購読しているのはカンパのつもりです。紙面を見てみればわかりますが、大企業の広告はほとんどありません。小さな広告がパラパラならんでいるだけ。購読料が頼りの新聞社。それだけに記者さんたちが真剣に取材したことが大きな力に遠慮することなく書かれています。政府の垂れ流し記事を検証もしないで報道しているマスコミとは大違いです。どの新聞でもいいやという方は東京新聞をご検討ください。

あっ、誤解なきように。私は東京新聞の回し者ではありません(笑)

 

 いつも開けっぱなしのわかば塾ですが、53日~5日は閉めます。枯木又に行ってきます。      以上

 

わかば NO.633 22.2.23

 

 わかばを書き始めていつも思うのは「もう1か月たったのかあ」です。「歳をとると時間の経つのが早い」と言われますが、そうなのかなあ。いやいやそうじゃないぞ(笑)若いころからそうだった。

先日、子どもたちと出かけたときに、写真に写りたくないという子がいて、その子にみんなを後ろから写してもらいました。その写真を見てびっくり。前からだとそんなでもないのに頭の後ろのはげていること。いやあひどいもんだね。頭のてっぺんが薄くなったのに気づいたのは15年ぐらい前かな。そのときも写真でした。枯木又の池でタニシを採っているときに、その様子を高い所から写した人がいました。その写真を見て気づいたんです。

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年寄りだけじゃあない。青壮年の方も子どもたちも、月日の経つのが速いと感じる人がいます。そういう人たちに共通しているのが、やりたいことがたくさんあって、時間がいくらあっても足りないって人ですね。

 100歳で亡くなられた教育研究家の大田堯さんの92歳ころの活動を描いた自叙伝的な映画「かすかな光へ」。その中に大田さんの講演会の場面が出てきます。講演が終わった後に「大田さんのようにお歳を召されてもお元気であるにはどうすればいいんですか?」というような質問がありました。それに対して、大田さんが困った顔をしながら「希望を持つということでしょうかねえ。朝起きて、あれをしよう、これをしようと思えるのをもつことでしょうかねえ」というようなことを言っていましたが、子どもたちの様子を見ていてもそれを感じます。

 コロナ騒ぎが始まってからも年に3回ずつ枯木又訪問旅行をやってきました。枯木又の方々の中には

「関東から人が来るのは嫌だ、ウイルスを持ち込まれるんではないか」と心配された方もいましたが、何十年も続けてきた関係の中で(勝手に)お許しを願って出かけてきました。それ以前からそうなんですが、枯木又に行きたいと思うような子たちは、やりたいことがいっぱいあって、あるいは、新しく出会うことにすぐ関心を向けて,活き活きと過ごします。まあ睡眠時間の少ないこと。中には早く寝てゆっくり起きるという子もいますが、たいていは夜中まで遊んだり話したりしていて、朝は競うように起きて動き出す。そして、「いつ帰るんだっけ?えーー、明日?もう帰るのかあ」と時間があっという間に過ぎています。

 このところよく書くよつばの言葉、「いつでも今日がいちばん楽しい日」。そこを目指していると、あっと言う間に時が過ぎていくってことでしょうかね。

あっ。誤解なきように付け加えますが、何も活動的に動き回ることだけじゃあありません。ボーとしていたい、グデーとしていたい・・・それも大切な「やりたいこと」ですよ。

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 2月の初め、ある日の夕方、「オヤジいる?」と男の子が訪ねて来ました。「おー、すげえ久しぶりだなあ、どうした?」「オレ、明日テストなんだよ。やべえから会いに来た」翌日が大学受験の試験日なんだそうです。

 2階にあがって、なんだかんだと小一時間話して行きました。オヤジからいろいろな卒業生の話を聞いたりして「受かりたいけど、落ちたってかまわないや」という気分になったとかで、「あー、すっきりした、元気出た。」と帰って行きました。

 彼は小学生の頃に通って来ていてさんざん「ワル」をやった子です。中学生になってもしばらくは来ていたのですが、部活他で疲れていて、グデグデしていました。オヤジは「そのうち勉強もやるようになるから」とグデグデさせておいたんですが、親はそれを許さなくて、わかばをやめさせて進学塾か何かに通わせました。その後、ほとんど会っていないんですがうわさは聞いていました。どこかの塾に高いお金を払ったんでしょうが、そのままわかばにいた方がよかったかなって感じの高校に進んでいました。

 その彼が、(途中でわかばをやめて、たぶん敷居が高かったんだと思うんですが)思い切って飛び込んで来てくれたんです。すごく嬉しかったです。小学生~中学生の初めの頃までに、しっかり付き合ってちゃんとした信頼関係ができていたんだなあと感じました。

 (その後連絡があり、合格したそうです。)

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 今年の冬は寒かったですねえ。それでも男の子たち数人は時々釣りに行っていましたけどね。

   3月ともなれば少しは暖かくなるでしょう。

昨年、いつもお世話になっている見沼田んぼ福祉農園の池づくりをやらせてもらいました。子どもたちや時には保護者の方も手伝ってくれて、結構いい池ができたんですよ。今年はそこの手入れと拡張をやろうかと思っています。日時等の予定が決まったらラインなどで連絡します。

 春の枯木又訪問旅行は42日~4日を予定しています。今の時期は歩いて行ける魚沼丘陵駅~枯木又の春川新道が雪ですっぽり覆われていて、五日町から遠回りで行くことになります。たかしさん、まさのりさんの車で送迎してもらうことになると思います。人数的に制限がかかりますので、経験者中心にどうしても行きたい人に限らせてもらいます。

 

 以上

 

 

 

 

 

<だいぶ前のもの>

 わかば NO.627 21.8.22

 

 今年の夏は(も)天候が不安定で、九州~中国・四国地方では繰り返す大雨で多くの方がお困りのようです。

 細野公園からスーパーサミットにつながる遊歩道は、昔のどぶ川(大谷口排水路)の上にできています。1990年前後に、地元の人たちと「大谷口排水路等整備促進連絡会」を作って、市と交渉を重ね、氾濫を繰り返していた排水路の改修を実現しました。

 それまでは、年に何回かは、周辺住宅は床下浸水(床上浸水する家もあった)、細野公園は水浸し、通れなくなる道路もあるという状態でしたが、改修後はほとんど被害が出ていませんでした。

その交渉のときに、「時間55ミリ」という言葉がよく使われました。50年~100年に1回あるかどうかの大雨のときにも通用する排水路にするには「時間55ミリ」の雨でも流れるように計画するということでした。おかげで、大雨が降っても昔のように浸水することはなかったのですが、最近は一部の道路が冠水することがあったりしています。

この数年全国各地で続いている豪雨とその被害。時間110ミリ、とか時間80ミリとか。それも何時間も続いていたりして。排水路整備で市と交渉しているときには想像もできなかったことです。今後、この地方でも「時間55ミリ」を超える雨が降るかもしれません。いつ、どこで起こるかわからない災害。おこるかも知れないと心づもりをしておいた方が、いざというときに慌てないで済むかもしれませんね。

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13日~16日と枯木又に行ってきました。今回も子どもたちにたくさん学ばせてもらいました。

「なんだなんだ、まだママに尻ふいてもらってるんか」とか、「親に洗ってもらってるんだなあ」とかオヤジに言われた子たちがいます。

すごくきれいな湧水が出ている池があります。例年、その池の持ち主の許可を得て泳がせてもらっているのですが、今年は寒くて泳ぐのはあきらめました。それでも水の中に入って網を使うと、ゲンゴロウとゲンゴロウの幼虫がとれたりしました。その池は泥も少なく、きれいな足で上がることができます。その後で、田の周りの水路(山からの冷たい水を少しでも温めるためにある)にイモリでもいないかと見て回ったときに、サンダルを無くした子がいて、みんなで泥深いところに入って探しました。ふとももまで泥だらけになって、「さあ、さっきの池で洗って帰ろうね」と池に向かい、汚れた足を洗いました。さてさて、もちろん、きれいに洗う子もいましたが、中には洗えない子、洗ったつもりで泥がついたままの子がいるんです。今までに泥で汚れた経験があるとかないとかの問題ではないんです。そのときの洗い方が・・・ちょっとイメージしてみてください。幼児が汚れを洗ってもらうときに、立ったままの子どもの足をママがしゃがんで洗ってやる。・・・オヤジがそうしてやりたいような仕草なんですなあ。まあ、「かわいい」感じで楽しかったですがね。

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新型コロナのデルタ株。感染力はすごく、低年齢でも感染するようです。ウイルスも生き残りに必死なんでしょうか。身体の弱っている人に入り込んで、その方が亡くなられたらウイルス自体が困るわけですし、広く浅く広がって行こうとしているんでしょうか。

低年齢で重症になる人も出てきているようですが、亡くなった子はいないみたいです。

枯木又旅行のときもコロナのことほとんど気にかけていませんでした。少人数で子どもたちだけで出かけていると、帰って来るまで気にかかります。なかなか帰って来ないときに、中高校生に「ちょっと様子見に行ってくれる」と頼んだこともありました。夜は夜で、咳をしたり、鼻がぐじゅぐじゅしている子がいると(コロナとは関係なく)手当てや指もみをして症状を抑えたり、夜中に寝ている子の脈を測ったりもしました。

そして、心の奥底には「明るく元気に、生きる力を伸ばしているかなあ」という思いを持ち続けていまいた。幸いにして、子どもたち、夜遅くまでぺちゃくちゃしながら起きていて、朝は早くから釣りに行ったりして、まあ、仲良く元気でした。

コロナコロナコロナ・・・どうぞいっぱい心配してください。同時に、昨年は警察が把握しているだけで499人の子どもたちが自ら命を絶っていることを感じ考えてみてください。

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みなさんもニュースなどで感じていると思いますが、日本の政治はひどいもんです。憲法すら知らない人が大臣になっていたり、失政を責められる姿がテレビにうつされないように国会を開かないでいたり、平気でうそをついたり、言っていることがころころ変わったり。それでも平気で政権についているのは、国民が無関心だからです。何を言っても、何をやっても、選挙になればどうせ勝てると思っているんでしょうね。

明るい選挙啓発ポスターコンクール事業平成30年度高等学校の部入選作品におもしろのがありました。「辛い」という漢字に横棒を一本加えると「幸せ」になる。その1本が1票だというものです。

「選挙に行ってもムダムダ、どうせ変わらない」と思っている人も多いと思いますが、「選挙に行かないから変わらない」んです。近いうちに総選挙があるようですが、絶対得票率が20%にも満たない政党が多数の議席を占め、好き勝手にやっている結果が今の状況であることを考えてみましょう。

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 枯木又訪問旅行は、私も行った子やその親たちも中止ということはほとんど考えませんでした。政府や大臣が後押してくれたので、堂々と行ってきました。

「中止の考えはない。強い警戒感を持って旅行に臨む」

「バブル方式で旅行する。感染拡大の恐れはないと認識している」「コロナに打ち勝った証として旅行する」

「旅行を中止することは一番簡単なこと、楽なことだ。旅行に挑戦するのが国民の役割だ」「安心安全な旅行に向けて全力で取り組む」…五輪を旅行に置き換えました。(東スポの記事を応用)

きわめつけは、バッハ会長の銀ブラでの五輪大臣の言葉「不要不急かどうかはご本人が判断されることですから」

 はい、自分たちで判断して行ってきました。  以上

 

わかば NO.612  2020.5.22

 

 前号・前々号と同じようなことを書きたくなります。新型コロナ騒ぎは一体何なのでしょうか?不思議なことばかりです。

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 アメリカでの死者が6万人を超えたとか。2017年~18年のシーズンのアメリカでのインフルエンの死者6万人超と同じぐらいになりました。日本では2018年の「インフルエンザが死亡原因」の死者数3325人にはなっていませんね。

 国内での死因別の死者数は、年度によっての違いはありますが、だいたい1年間に、がんで40万人,肺炎で10万人、インフルエンザで数千人、自殺も2万人。新型コロナでこれから何万人、何十万人死ぬかもわかりませんが、今現在毎日毎日がんで亡くなっている方が相当数いるはずです。先日訪ねて来た卒業生が「毎日、新型コロナで何人と死者数を発表するんなら、他の死因での死者数も発表してほしいよね」と言っていましたが、同感ですね。

 諸外国では発売禁止になったり、厳しい基準などがある農薬や食品添加物が平気で出回っている・・・。発がん性物質が充満している。なんか、遺伝子的なことも考えればそっちの方が怖いんじゃないかなあ。

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 私は新型コロナにかかることをそんなに心配していません。「1万本に1本のあたりくじがありますよ。5千本に1本のあたりくじがありますよ」と言われても引く気にならないように、「何千人に1人の感染者、何十万人(?)に1人の重体者」に自分がなったら、それはよっぽども運が良かった(悪かった)ということなんだろうなあと思って過ごしてきました。明日のことはわかりませんが、今のところ、やっぱり当たっていません。

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 私は糖尿病です。医者には何十年も行っていないし、検診も一度も受けたことがありませんが、様々な症状は明らかに糖尿病です。10年ぐらい前はひどかったのですが、京都の高尾病院の先生の本をちらちら見て、「炭水化物をとらない」ことを心がけて、悪化させずに生きています。「新型コロナにかかると重体化しやすい」と言われたって、そんなことは関係なしの糖尿病の悪化自体の方が多少は気になりますね。 5月には子どもたちと出かけることがよくありました。歩いて、自転車で、車で・・・。池や川に行っていろいろなものを採ったり・・・。そうしたときに、子どもたちが大きなけがをしないように気配りします。(小さなけがはよくします。オヤジの得意な言葉は「けがしてもいいけど、救急車は面倒くさいからいやだよ」です。)、車に子どもたちを乗せて出かけるときには、1人で運転するとき以上に慎重です。ですが、新型コロナのことはすっかり忘れていますね。「おやつ買ってあげるね」とコンビニに入るときにふっと「マスク、マスク」とあわてるぐらいです。

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 この新型コロナ騒ぎのおかげで、安倍政権のひどさを知る人が増えたのはよかったなあと思います。私は以前から、この政権がナチスに匹敵するぐらいひどい政権であると言ってきましたが、無関心な人やNHK・産経・読売などの情報をうのみにしている人が多くてなかなか伝わらなかったですけどね。

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 この政権が真っ先にやったことは、NHKの会長を籾井さんにしたことです。その後は、お仲間をNHKの経営委員にしたりして、NHKを「アベチャンネル」にしてしまいました。政権に都合の悪いことは報じない、めちゃくちゃな答弁をしていてもNHKのニュースでは首相や官房長官、大臣などをかっこよく映し、肉声を伝える。国会審議の伝え方は常に片手落ちでした。 また、政権発足直後から大手マスコミトップとの「夜の会食」を重ね、情報の出し方や広告料などでマスコミに制約をかけてきました。記者会見などは内閣記者クラブとのなれ合いで、事前に打ち合わせた質問以外は受け付けないやり方。また、首相が冒頭に発言する内容は両サイドの画面にその文言が映し出され、それを見ながら長々としゃべる方法。外国特派員クラブの会見要求を断っている理由がよくわかります。

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 いよいよ終わりかなとも思いますが、後を継ぐ内閣はたいへんだよね。日銀の黒田総裁などとやっためちゃくちゃな経済政策の後始末もしなければなりません。今なお株価維持のためにどんどん大金をつぎ込んで、年金基金の運用で十数兆円の損失を出しながら「まだ、ある」とほざいています。外交もたいへん。拉致被害者、北方領土・・・、何か安倍政権で成果があがったものがありますか?あったら教えてください。選挙になると威勢のいいことを言っていて、マスコミ受けして、そして何も実現していない。また、ものすごい外遊を繰り返し、各国に約束した資金提供の額もすごい。どうすんだろ、この後の政権。公文書の隠蔽や改ざん、国会での虚偽答弁もひどい。桜を見る会を開こうにも前年の名簿も破棄してあって(笑)。・・・書き出したらきりがないね。

 もう1つ書かなくちゃあ。赤坂自民亭近畿地方で11万人に避難指示が出ている夜の宴会。まともな国ならこれだけで内閣ぶっとびですが、国民の無関心さに助けられました。昨年の台風のときもひどかった。内閣改造で一日中かかりきり、NHKは速報を流して無能大臣を映していた。さすがにきまりがわるかったんでしょう。首相の口から千葉の被害が出たのはだいぶたってからでしたね。新型コロナの危なさが伝えらえられる中(2月頃)、「対策会議に数分出ただけで、ホテルでマスコミ人や財界人と3時間もの会食」を繰り返していたこともうなずけます。

ついでに、今までの安倍内閣の大臣たち、知識もなければ思考力もない、何よりも品格がない人が圧倒的に多い。やめた人、居座った人、その数の多さもすごい。内閣が何回倒れても不思議でない数です。

やああめた。ほんとにきりないや。

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 明るく元気に、学んだり遊んだりおしゃべりしたり。楽しいわかば塾、相変わらずです。

以上

 

わかば塾 藤本吉則

090-3597-5479

 

  NO.600  2019.5.22

 

 あらら。とうとう600号になってしまいました。1カ月に2回出した月もあったし、お休みした月もありましたが,1年で12号とすると50年。まあ、こんなもんですね。

 

読んでもらいたい人は読まない。「読まなくてもそんなことはわかっている」という人の方が読むというのは相変わらずです。他のことでもそうなんでしょうね。「わかば」はどうでもいいけど()、宣伝・広告・うわさ話に流されるのではなく、自分で見聞きし、自分で考える・・そうした姿勢が人生を豊かにしていくのではないかと思いますよ。

 

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前々号では「笑うこと」が心や気持ちだけでなく、身体の健康にもよいことを書きました。前号では、「かぜをひかないためには水をしょっちゅう飲むとよいこと」から始めて、「駄菓子類や清涼飲料水・ジュースの害」についても書きました。

 

今号では、たくましい子について書いてみます。

 

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 「明日、修学旅行で朝早いから塾休むね」「明後日から旅行だから、明日の川遊び、疲れるからママがよしなって」「今日、修学旅行から帰ったばかりだから休む」「今日(部活で)試合だったから休む」「部活の合宿から帰った次の日だから枯木又行かないね」「今日、どうしたの?」「明日行く、今日はもう風呂入ったから」なんてことをいう子もいました。・・・一見、もっともらしい理由ですが、こんな理由をいう子は、ほとんどひ弱です。

 

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 そうでない子たちのことを少し書きますね。

 

・すごく前ですが、高校の部活で長野で合宿して帰る日が、私たちが枯木又に行く日とぶつかった女子がいました。信越線(当時はあった)で浦和に帰ってくる途中で、高崎でみんなと別れて、上越線に乗りかえ、六日町まで来ました。そして、45日枯木又で過ごして帰ってきました。

 

・小学校の5年生の夏、公民館主催のキャンプに申し込んであった。行きたい。だけど、帰って来る日の朝、私たちは枯木又に出かけてしまう。その日の午後、車で行く大人3人がいた。「どうする?車に乗せてもらって後から来る?」「行く!」キャンプから午後帰って来て、塾の前で(知らない大人3人が乗った)車を待って、乗せてもらってやってきた。

 

・今、高校3年生の男子2人が週に何回か来ています。この子たちもたくましい。部活の試合だからとか修学旅行の前の日だとか帰った日だとか、そんなことを理由にする中学生ではなかった。今も前向きに元気。

 

・自転車で片道1時間ぐらいかかるクラブサッカーに小6の後半から入り、週に5日ぐらい通った子がいます。夕方出かけて行って、帰りが夜10時頃。帰ってから「ちょこっとやっていく」と来たことも度々ありました。雨の降った日に、「今日は来ないかな」と思っていたら、10時半すぎてから来ました。「ごめん、今日びっしょり濡れたからさあ、風呂であったまってから来た」

 

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 書き出すときりがないくらい、わかばの卒業生

 

や生徒にはそういう子が多いです。その子たちに

 

共通しているのは、一言で言えば「元気」

 

 幼児期から、ああしなさい、こうしなさいと言われて育つ子。(ああした方がいいよ、こうした方がいいよというやわらかい表現でも)、言われてそのままならいいのですが,それが、子どもの心の中で、簡単に「こうしなければならない」に変わってしまうことが多いのではないでしょうか。そうすると、それに縛られてしまいます。

 

 食べる前には手を洗いましょう。いいですねえ。

 

トイレから出たら手を洗いましょう。もちろんいいですよ。でも、状況によっては手なんか洗わなくたってちっともかまわないんです。手を洗わなかったからといって病気になる確率はほとんど0です。ここにその見本がいます。()

 

 <何々でなければ何々できない>ってのもよくあります。シーツがピシッと敷いてないと眠れない、自分の枕でないと眠れないとか。今私たちは災害時の避難所運営委員会を作って大災害に備えていますが、夜間訓練のときに、「布団でないと眠れない」「水洗トイレでないとトイレができない」などと言って泊まれない人もいます。そういうのは、かっこいいことではなくて、「ある種の弱さ」だと思うこともあります。

 

 こうした方がいいけど、しなくたっていいや。なんだっていいや。そういうゆるさの中で、子どもも大人も生きられると、様々な不都合や不幸は減っていくのではないでしょうかね。

 

                  以上

 

わかば NO.592  2018.9.22

 

わかば塾のオヤジは何かと忙しそう。8月に高麗川に行ったときに、一緒に川を流れたりしていた6年生に「オヤジはジジーのくせになんでそんなに元気なんだ」という『ほめ言葉』をもらいましたが、私にとっては、忙しく過ごすことが老化防止になっている気がします。

 

先日、86歳の方とゆっくり話すチャンスがありました。その方は数年前にご主人を亡くし、その後、ふさぎこむことが多く、体調を崩したり、気分がすぐれなかったりした時期もあったようです。その頃は、言葉にも張りがなく、ひょっとしてご主人の後追いをするのではないかとも心配していたのですが、先日の電話では声が明るくなっていて、すっかり元気を取り戻していました。その人も「忙しく過ごすことがいい」と言っていました。

 

「カレンダーに印がついていない日がほとんどない。」「近所のおばさんが訪ねて来たり、立ち話をしたり、誰かと話していても、次の予定が気になるぐらい忙しい。」「出かけたりすると疲れるけどね。帰ってから半日寝ることもあるけどね。」「忙しいとあれこれ悩んだり考えたりする余裕がないからいいんだよ。」などと話してくれました。

 

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親御さんの世話や介護をなさっている方も多いと思います。ご自分の老いを心配している方もいらっしゃると思います。

 

先進国と言われたりしていた日本ですが、今の政権になってからは後進国の仲間入りをしたのではないかと思われるほどに実質所得は下がったままですし、老後の社会保障はどんどん削られています。牛丼が10円高くなっただけで大騒ぎするのに、税金や保険料が高くなることには無関心な国民だらけですから、この傾向はますますひどくなりそう。

 

そうした中、なんとか身体をこわさずに、しかも、ボケないで歳をとっていきたいものです。そのためには、適度な忙しさがあった方がいいようですね。公民館活動、地域活動なんかにも思い切って参加した方がいいと思いますよ。もちろん、楽しみを求めてね。

 

今年は各地で大きな災害が起きました。本気で何とかしようという政府ではないから、被害がそのままの地域もたくさんあります。そういう所に手伝いに行くのもいいかも知れませんね。災害地のボランティアに行っている人たち、みんな年の割に若いです。

 

(もっとも、忙しさの度が過ぎると、みのさんのようにある日バッタリということもあります。実際彼女の活動量はすご過ぎました。そこは気をつけましょう。)

 

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忙しさと言えば、小6の頃からクラブサッカーに入っている中3生がいます。彼は、片道自転車で1時間ぐらいかかる遠くの所にあるチームに入っています。学校から帰ってしばらくして出かけ、夜9時近くまで練習して10時頃に帰って来る。もちろん、自転車での往復。休みは週2日だけ。その2日はわかばに来ることになっていましたが、夏前までは休むことも多かった。「昨日は遊んじゃった」「この前は寝てた」とか言いながら。でも、夏が終わってからは、週2日だけでない、その他の日も来るようになりました。夜10時ぐらいに帰ってきてそれから1時間ぐらいやっていきます。勉強がおもしろくなってきたようです。

 

先週大雨が降った夜には、夜10時頃に「今帰ってきた。びしょぬれだからシャワー浴びて着替えていくね」とラインがきて、10時半ぐらいに来て11時半ぐらいまでやって行きました。

 

彼はさらに忙しくしようとしています。「俺、駅伝にも出ることにした。その方が張りがあるから」とか言っていましたが、駅伝の練習に加わると朝練もある。

 

すごくきつくなると思いますが、「何々があるからダメ」とかいう言い訳をする子が多い中、さらに駅伝までやろうとする気持ちがすごいなと思います。

 

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 今、沖縄知事選が行われていまが、本土の大手マスコミが他の重要問題同様に掘り下げて報道しないので詳しいことがわからない人が多いと思います。私は沖縄の新聞、諸外国の通信社や新聞の報道にも目を通しているし、沖縄の友人たちからの情報も入ってきますので、皆さんよりは知っていると思います。

 

 70%・・米軍のいらなくなった土地を返すと言われて、頭下げていただいているような政府が、「負担軽減」とかの言葉を使いますが、依然として、国土面積の0.6%の沖縄県に在日米軍基地の70%が置かれています。70%・・辺野古に米軍のための新基地をつくことに反対の県民です。70%・・故翁長知事の前の知事が辺野古の海の埋立てを承認しましたが、沖縄県は、その承認を撤回しました。その件の判断を支持する県民です。 翁長知事の遺志を継い立候補した玉城デニーさんは、沖縄の命、県民の命、子どもたちの幸せに目を向けた方でもあり、圧倒的支持を得て当選するはずでした。ところが大苦戦をしています。相手陣営が辺野古をどうするのかは全く語らずに争点を隠し、組織的な動員による期日前投票や膨大なお金をかけた金権選挙を進めているせいです。

 

 以前のマスコミなら問題にするべきことが多数行なわれているのですが、政権に忖度している今のマスコミは全く突っ込んでいません。知事選の結果が気になりますが、米軍に土地を奪われて基地を造られた沖縄県民が、自ら新たな基地建設を認める結果にならないことを願っています。

 

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 106日~8日は塾はお休み。枯木又に行ってきます。行きたい方早めに連絡を。      以上

 

 

わかば NO.591  2018.8.22

 

「実家を片づけよう」で放映された我が家の様子に様々な感想が寄せられました。もちろん、大量の取材・撮影から組み合わせての編集なので事実と異なる部分も多々ありましたが、それでもオヤジらしさは出ていたようです。

 

感想の中で、わかば塾って何なのかがよくわかるものがありましたので載せてみます。ランちゃんからのものです。

 

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<ザリガニを釣って食べたり、どんぐりを炒って食べたり、真冬にダンボールにくるまって外で寝たり、お風呂の入れない山の中に連れてってくれたり、知らない人しかいないとこにいきなり連れてかれたり、街灯もない山道ひたすら歩いて寝っ転がりながら向こうの山で上がる花火を見に行ったり、本当に私が今まで体験したことがないことを沢山教えてくれたのは間違いなくオヤジ  私が高校は浦和東に行く!って言ったとき一番に『らんちゃんには無理だね〜〜ははははは  笑笑』って応援するどころか笑われたのには凄くビックリしてそこから勉強頑張り始めたんだよね〜〜笑笑  学年最下位の成績で塾の先生のくせに『本当に行けるとこないから高校行かなくてもいいよ〜〜笑笑』って言われてたのに、浦和東入れて、最初学年7位取ったとき凄く喜んでくれたオヤジの笑顔は一生忘れないよ>

 

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 本人が書いている通りに、中2の秋に初めて会ったとき、英語も数学も何もわかっていない。「うち、学校で3バカトリオの一人だから」と笑っていたランちゃん。それが付き合ってから高校入試まで、点数も順位もずっと右肩あがり。とうとうクラスの上位になってしまった。

 

 じゃあ、勉強ばかりしていたか。そんなことはない。送られてきた感想を見て、改めて「わかば塾ってすごいな」「わかばっこ」はすごいなと思いました。主として付き合ったのは中3のときです。こんなにいろいろなことを中3のときにやっていたのです。

 

 夏には枯木又旅行にも行ったんだね。そういえば、枯木又に来ていた高校の先生が、ランちゃんのあけっぴろげで明るく、そして大人の人の会話を真剣に聞いていた姿に「あの子、すごいね」と言っていたのを思い出しました。見沼での真冬のキャンプや、毎月やっていた見沼のゴミ拾いにも来ていたんだね。参考書や問題集、宿題なんかを大量に渡して、「枯木又旅行なんてとんでもない」「ゴミ拾いに行く暇あったら勉強しなさい」なんて言っていたら、ぐんぐん伸びるランちゃん、高校では部活のマネージャーとして朝6時には出かけ、夜10時過ぎないと帰ってこない生活をしながら学年トップクラスの成績をとったランちゃん、その後も前向きに行生き続け、今(日本ではまだ少ない)フィットケアの仕事を独立してやろうとするランちゃんにはならなかったかも知れない。

 

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そうだ、そうだ。ランちゃんが高校生のとき、忙しい合間にちょこっとわかばに来て勉強したときのルーズリーフ数枚が「わかば塾永久保存版」として壁に貼ってある。大きい字でなぐり書きしたもの。

 

「きれいに書いたって何にもならない。額に入れてかざっておくわけじゃあないだろう」「大事なのは理解したり覚えたりすること。そのためのノートだよ」「ラブレター書いてんじゃないんだから、字なんかきたなくたってかまわない」というオヤジがいつも言っていることの例として後輩たちに見せています。

 

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21日に数年ぶりに高麗川の川遊びに、小学生6人と行ってきました。最近付き合い始めた小1の家族は車で行って現地で合流。

 

6年生男子の中に、駅まで歩いて行ったことがない子がいたので、南浦和駅まで歩いて行きました。小1・小2のちびちゃんたちはサッサと歩くんだけど、6年生男子の4人はべっちゃべっちゃ、いわゆる「つるんで」歩いたので40分ぐらい。

 

次は切符を書うこと。買ったことない子がいるんだねえ。なかなかおもしろかった。ちびちゃんたちは数の感覚をつけるために何回か電車に乗っているので心配ない。そう言えば、中学校の教師をしている人から、「今の中学生には金銭感覚が無く育っている子が多い。スイカなんて使うせいもある」という話を聞きました。何も考え無しに電車やバスに乗り、買い物をしているんだもんね。

 

川原に着いてから水着に着替えるとき、ちびちゃんたちはさっさと着替える。「着替え始めればだれも見ようとしない。見ようとするやつがいれば、そいつがおかしいんだ」ということがわかっている。6年生の男の子たちはグダグダ。「下級生と6年生はちがうんだ」とか言った子もいるけど、そうじゃないんだなあ。ものごとが分かっている子や人は、中学生でも大人でも平気ですよね。

 

車で行った家族のパパが「ギバチの赤ちゃん」をとってくれたんでオヤジは上機嫌でした。ギバチは後でFACEBOOKにアップします。  以上

 

 

通信「わかば」を毎月発行しています。